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口にしないような友人・知人がうっとりとした目を居酒屋の模造囲炉裏に向けて告白する思いの数々。
これが、先に述べた7割のサラリーマン、OLの「可能性があればUターンしてみたい」人たちなのだ。
「それじゃ、なんでUターンしないんだ?」。私の一声で中空を漂っていた目は突然現実の光を宿す。
「無理に決まってるだろ。子どもの塾に教育ローン。住宅のローンだって始まったばかりだし」「でも君はUターンに魅力を感じてるんだろ。その思いを妻に話したことないのか」「あるさ、大ありだ。そうしたらなんて言われたと思う。『勝手に行けば、一人で』だ」

 

私、若かったんですねえ

 

ここで少し実例を挙げよう。どうも妻が主導権を想像以上に握っているらしいと感じ、ある号で「住宅特集」を組んだ。「夫の目で、妻の目で見たUターン」。企画書には確かにそうあった。主眼は妻のコメント。若い女性スタッフを北海道に派遣、取材した。
ところが、提出された原稿が思わしくない。「念願叶って一戸建てが買えました」「通勤時間が短くなって助かります」「子どもが以前(Uターン前)より伸び伸びしているような気がします」。なんだか、想定原稿のような内容だ。取材した記者にとことん様子を聞いてみると、仲介した夫の勤める会社に遠慮しているらしい。一度は受けたものの、実際に取材されると、腰が引けてしまうのはよくある話だ。結局、あまりインパクトのない記事内容ながら、専門家のコメントなどで補強して掲載した。
どうも納得がいかなかった。それで、後日、直接電話をかけてみた。妻のA子さんが出た。あれこれ話すうちに多少打ち解けたのか、少しづつ本音話が聞かれるようになった。「家が買えたといっても一戸建て分譲。もっと広い家に住めるのかと思っていた」「物価は必ずしも安くない。分譲団地内のスーパーしか店がなく、野菜などはけっこう高い。ちょっと珍しいものだと、東京より高いかもしれない」「友だちがいなくて寂しい」「子どもの教育のことを考えると正直なところ、不安がある」「冬の寒さは想像以上。朝、庇から落ちてきたツララで車のフロントガラスが割れていたときには膝が震えた」。
「私はできれば帰りたい」と最後のほうは半泣きで語ってくれたA子さんだったが、幸い、その後寒地の生活にも慣れ、友だちもでき、無事道産子の仲間入りができたようだ。それでも、彼女は最近、こうコメントしてきた。
「若かったんですね。実態が分かっていれば、絶対にUターンしなかったと思います。子どもがまだ幼かったので、教育環境まで深く考えていませんでしたから。いまでも(Uターン)して良かったのか、まだ心の迷いはあります」

 

 

 

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